コラム~世界をけん引する日本のアニメーション

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東京大学大学院工学系研究科

非常勤講師

                           森村 久美子

 

 今年7月18日に起きた京都アニメーション放火事件では、35人ものアニメーターの方が犠牲になるなど大きな被害がもたらされました。この事件には日本中の人々が大きなショックを受けたのは間違いありませんが、世界各国からも弔意が寄せられ、あらためて日本のアニメーションの世界における位置づけに驚いた人も多かったようです。

 

 1) なぜ京都でと思った人も多かったようですが、実は京都は日本のアニメーションのひとつの中心地なのです。戦前にも東宝や日活の撮影所があった関係で漫画映画(トーキー)の中心地となった時代もありましたが、戦後は東京、大阪が中心となっていました。しかし文化的な背景は根強く残っており、1981年に京都アニメーション(当時は京都アニメスタジオ)が京都で発足し、任天堂が2000年に本社を現在地の京都南に設立したのをきっかけに多くの工房がその周辺に立ち上がり、アニメーション製作の供給がここからなされるようになりました。2006年に京都国際マンガミュージアムがオープンし、世界中から京都の歴史を探訪しに訪れる人々にも日本の漫画やアニメ文化を知らしめる機会を与えたと同時に、逆に日本の漫画やアニメを求めて京都を訪れる若い人々には、多くの神社仏閣の保存されている京都の新旧の混在感が新鮮に見えてさらに人気をもたらしたのです。京都駅の南側にある任天堂本社はマサチューセッツ工科大学の電子情報系の学生の中には日本中で一番訪ねたい会社だという者も多くおり、京都市南部から宇治にかけてはそのようなアニメ系の会社が集まって一大産業となっているのです。

 

 ここで日本のアニメーションがどのようにしてここまでの地位を獲得したか、その歴史をまとめてみようと思います。

 

 日本では主に戦後、テレビ放送開始と共にアニメーションのCMや短編が流されましたが、その人気を決定づけたのは手塚治虫の「鉄腕アトム」でした。2) 夕方30分間にわたってテレビで繰り広げられるアストロボーイ・アトムと地球を狙う悪者たちとの戦いに胸を熱くした子供は少なくありませんでした。こうしてアニメーションは戦後高度成長期の家庭に深く入り込んで定着していきました。

 

 1980年代に入ると宮崎駿のスタジオジブリによるアニメ、「天空の城ラピュタ」、「となりのトトロ」、「魔女の宅急便」などが続けて発表され、日本のみならず世界中の人々の目をくぎ付けにしました。ジブリのアニメは細部にこだわって人間生活を描いておりその既視感が人々に共感を与えると同時に、ストーリー展開に意外性がありまだ見ぬ世界への興味が人々を煽り立て大きな人気を得ました。ハーバード大学の教授でジブリを熱心に研究しておられる先生にお会いして話したことがありましたが、微に入り細に入り研究しておられ、日本人の素人ファンにはとても歯が立ちませんでした。

 

 このころから静止画(印刷物)は漫画、動画(映像)はアニメーションと呼ばれるようになってきました。アニメーションはこれまで30分だったテレビ用尺から1990年代にはアニメーション映画の時代になり長編が作られるようになりました。「美少女戦士セーラームーン」、「ドラゴンボール」、「ポケットモンスター」などが劇場でヒットし、2000年代にはアニメーション映画は日本映画の中心をなすとまで言えるようになり、北米や東南アジア、ヨーロッパにも輸出されていきました。2006年には秋葉原に東京アニメセンター、京都に京都国際マンガミュージアムが建てられ、日本はアニメの発信地といわれるようになったのです。

 

 もちろん北米でもディズニー作品を中心にアニメーションが不動の人気を持ってきましたが、1980年代からは様々な実験的手法を用いていろいろな作品が発表されました。これまでセル画を何枚も見せて動きを作るのは人手に頼る仕事でしたが、1990年代からはCGが導入されるようになりました。コンピュータを用いたデジタル技術がどんどん開発され、登場人物の動きはもちろん彩色や影、背景などもCGで製作されるようになり、一気にデジタル化が進みました。ハリウッドのおひざ元で開催されるアメリカ計算機学会グラフィック部門(ACM-SIGGRAPH)はまさにそのための学会と言っても過言ではなく、アニメにおける登場人物の動きのスムースさや正確さ、リアリティ、背景の自然さをいかにコンピュータを用いて表現するかが学会の主なテーマでした。当時はピクサー(映像制作会社)とディズニーが合併した直後で、「美女と野獣」、「ライオンキング」、「トイストーリー」、「ファインディングニモ」などの作品にいかにCGが効果を与えたかについて熱心に議論されていました。アカデミー賞でも視覚効果(かつては特殊効果とも呼ばれた)に特別な賞を与えるほどです。

 

 アニメーションはもともとたくさんの、例えばフレームレート24-30コマ、すなわち一秒間に8枚ぐらいの静止画(セル画)を見せることで人間の錯覚を利用して動いて見えるようにしたものでした。その昔、パラパラ漫画というものがありました。これは少しずつ異なる絵を重ねて見せることにより、まるで主人公が動いているように見せるものでしたが、これを何倍も速くし動きを滑らかにしたのがアニメーションです。3) 何枚もの静止画の連続をいかに自然な動きに見せるかというのを目的に様々な手法が工夫されています。


 セル画は透明なセルロイドに描くため動かない部分は何度も描く必要が無く、変化する部分だけを描けばよいので分業化に向いていました。手塚治虫プロダクションをはじめジブリスタジオなどでも多くの人手を使ってたくさんのセル画が作成されました。そのため周辺には下請的なスタジオができ、職人がたくさん集まりました。手塚治虫プロダクションで勉強した創始者によって設立された京都アニメーションも、その技術の高さ、製品の質の良さから注文が絶えず、そういった制作過程の中心として存在していました。2006年の「涼宮ハルヒの憂鬱」、2009年の「けいおん!」のヒットはその存在感を決定づけ、たくさんの「京アニファン」を生み出しました。

 

 先に述べたように1990年代からアメリカで起こったセル画をコンピュータに取り込み彩色や背景を合成するCG化の動きはそのうち直接コンピュータで作画するまでになり、CG化が進みました。日本では2000年ごろから次第に波及し、「忍たま乱太郎」、「クレヨンしんちゃん」、「ドラえもん」、「名探偵コナン」に続き「ちびまる子ちゃん」、そしておよそコンピュータとはかけ離れたような存在の「サザエさん」までが2013年にはCG化していきました。

 

 CG化されたからと言って人手が不要になるわけではなく、芸術的感覚と共にCG技術も兼ね備えた技術者、職人がまずまず必要になり、技術の訓練と研究も一層盛んになっています。もちろんアメリカでも技術の研究はなされていますが、それをさらに洗練されたものとなるよう工夫を重ねるのはとても日本人に向いており、それだからこそ日本はアニメーションの中心地となりえたのかもしれませんね。

 

 

※ コラム記事の下線部分1, 2, 3 とその英訳例

 

1) なぜ京都でと思った人も多かったようですが、実は京都は日本のアニメーションのひとつの中心地なのです。

 

2) 夕方30分間にわたってテレビで繰り広げられるアストロボーイ・アトムと地球を狙う悪者たちとの戦いに胸を熱くした子供は少なくありませんでした。

 

3) 何枚もの静止画の連続をいかに自然な動きに見せるかというのを目的に様々な手法が工夫されています。

 

 

1) Many people might have thought why in Kyoto, but in fact, Kyoto is one of the centers of Japanese animation.

 

2) Many children were excited about the lively battle between Astro Boy Atom and the bad guys who targeted the Earth, which was held on TV for 30 minutes in the evening.


3) Various methods have been devised for the purpose of how to make a sequence of still images look natural.

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